2017年に100周年を迎える成城学園。緑に囲まれた豊かな環境の中、子どもを尊重する独自の教育方針で、幼稚園から大学院までの園児、児童、生徒、学生たちがのびのびと過ごしています。
子どもたちの人間性を育むうえで大切な教育と大人の関わり、子育てのアドバイスなどについて、当会代表の野田聖子、成城学園出身で当会顧問の小渕優子が、幼稚園園長・金子裕美さん、学園長兼大学学長・油井雄二さんにお話をうかがいました。
野田聖子(以下、野田):
これからお子さんをもつ方はみなさん、子どもたちがこの国でいい教育を受けて、まっとうに人生を送れるのかということを心配しています。もし、そうではなかったら子どもがかわいそうだから、産むのをやめようっていう人は多いです。
マスコミが悪い子のことばかりを強調し、なにかこの国の教育は完全に崩壊しているようなイメージを先行させているような部分もありますが、決してそうではありません。そこで今日は、幼稚園から大学までの子どもたちと日々かかわっていらっしゃる先生方に、不安な方たちに安心を与え、どんな苦難があっても生きていける勇気やたくましさを子どもがもてるような教育について、お話をおうかがいできればと思います。
油井雄二さん(以下、敬称略):
成城学園は94年前に実験的教育の場として小学校から始まりました。創立者の澤柳政太郎は義務教育の発展に貢献した方なのですが、それまで公教育を熱心にやっていた方が私学を創るというのはユニークな試みでした。公教育はどうしても型にはまらざるを得ないので、そこから出たいという思いもあったようです。そこで、希望理想として四つの綱領を掲げました。
その中の一つが「個性尊重の教育」。いまではどの学校でも言っていることですが、それを100年前に掲げていたので、先見の明があったと思います。
二つ目が「自然と親しむ教育」。都会の子どもはひ弱だということで、雑木林で原始的な生活をし、野山を走り回って身体を鍛えるべきだと説いたそうです。
あとの二つは「心情の教育」と「科学的研究を基とする教育」。
「教師は教育を思いこみでやらずに、きちんと効果的に子どもが伸びるような研究をし、その研究に基づいて行うべきだ」ということも言っていました。このような考え方は「今でも通じる」というより「今こそ必要」なことだと思います。
野田:
子どもというのはやんちゃなものなので、私立校ではかなり締めつける部分もあると思うんです。でも、成城学園は、そういうものは感じられません。それなのに、ルールがきちんと守れるように子どもたちが育つカギというのはなんなのでしょう?
金子裕美さん(以下、敬称略):
みんな一緒にこうしなければいけないというのではなく、一人ひとりに対応することだと思います。
油井:
成城学園は新宿から今の場所に引っ越してきたとき、創立者の教育理念に住民の方たちが賛同し、みんなで学園をつくりあげたという経緯があります。教師だけはなく、生徒、父母の三位一体となっているのです。
小渕優子(以下、小渕):
その雰囲気は今も残っていますよね。
油井:
そうですね。「父母の会」の活動はさかんで、われわれもだいぶ支援していただいています。
金子:
幼稚園では送迎を保護者の方にしていただくので、毎日、お父様かお母様と顔を合わせますし、保護者同士も親しくなります。「父母の会」の方はもちろんそれ以外の方にも行事のときなどは、協力いただきます。もともとの成り立ちもありますので、在園、在学している方は自然に家族みんなでという意識が高いのかもしれません。
野田:
今の教育のトラブルの一つに、先生と親の敵対、いわゆるモンスターペアレンツというのがありますが、そういったトラブルが発生しにくい状況が、三位一体の中でできているんですね。
しかし、私もいろんな学校に行っていますが、成城学園のような状況はめずらしいと思います。園や学校と保護者は、どちらかというと対立構造の中でお互いが批判しあって、厳しい状況にお互いが追い込まれてしまうということが多いように思います。そうならない秘訣はなんなのでしょう?
金子:
保護者に対して「こういうことをしないから困る」「こういうことで困る」ということを伝えるのではなく、そのご家庭での親子の関わりの指針をお伝えするということを大事にしています。トラブルがあったことをお伝えするときは「こういうところがよくなって成長されていますよね」、いいことをお伝えするときは「こういうところものびるようにと思っています」と、プラスになることも加えてお話することもあります。
私たちは幼稚園の生活とご家庭の生活を、なるべく近い形にしたいと思っています。それはお子さんが幼稚園に来たときに、家と違っていることがあると戸惑うからです。「お互いに共通理解をもって育てましょう」というのが園のポリシーでもあります。
野田:
小さい子を見ていると、人間としての無限大の可能性をもっているから、それをうまく引っぱり出してあげたいと思うけど、親はそのノウハウがわかりません。不安をかかえて、まちがった子育てをしてしまうかもしれない。そこに幼稚園の先生の力があるのは、すごく大きいと思います。
金子:
できるだけ子どもの気持ちに添うことを大事にしています。遊びのなかでこういうものを作りたいとか、こういうことをしたいということを尊重します。
小渕:
入園するために、3歳くらいの小さな子でも受験対策をしっかりしている方もいると思うのですが、試験では子どものどういうところを見るのですか?
金子:
お子さんだけでは合否は決まりません。ご両親を重視します。お子さんにどのような考えを持って育てていらっしゃるか。ご両親が成城学園の教育を、どの程度理解してくださるかということも大事なことです。
さきほど申しあげたように、お子さんを中心にして園と保護者が一緒に育てていくので、園の話をどの程度協力的に聞いてくださるかというのは大事です。「うちの子はそういうふうに育てません」と言われてしまえば、それが成り立ちませんので。
小渕:
私は小学校まではカトリック系の私立校ですごく厳しい環境の中で過ごしたので、中学校から成城学園に入学したときは、カルチャーショックも多かったです。文化祭の出しものも、自分たちで自由に決める。修学旅行の行き先も、自分たちで決める。片道だけ飛行機を使っていい、予算は上限10万円という決まりだけあって、あとは好きなところに行ってくださいというやり方で、それを中学生が自分でやるということに驚きました。
油井:
成城教育の一つの柱には、「自学自習」「自治自律」などの言葉が掲げられています。それは今もひきついでいるのですが、残念ながら小渕さんがいたころと変わってしまったように感じています。「自学自習」「自治自律」というのは、それだけの基礎的な力がないとできないのですが、今は自分たちで決めるということができない、残念ながら先生のサポートを必要とする子が増えているように思います。これは成城学園にかぎらず、全国的な傾向ではないでしょうか?
小渕:
やはりこの10年、20年で、子どもは変わってきているのでしょうか?
野田:
私は議員として成人式にごあいさつに行くことが多いんですけど、県会議員になりたてのころは、うるさくてやんちゃで、成人を迎える子たちにある意味パワーがありました。ところがいまは、静かでおとなしい「いい子」。しかも、暗い「いい子」。それはこの20年ですごく感じます。
油井:
成人というとちょうど大学生ですけど、いまの大学生はまじめですよ。きっちり授業に出る。ただ、自ら勉強する意欲があまりなく、仲間で何かしようという意識もない。少し心配になります。
小渕:
中高は、男子は制服があり、女子は私服なのですが、今の子たちは服装が自由なのにもかかわらず、みんなで同じものを買ってきて同じかっこうをするそうです。
野田:
私もそれは聞いたことがあります。私服の学校なのに、わざわざ制服を買いに行くという。
小渕:
仲間意識のようなものもあるのでしょうか? 自由ってほんとうはすごくすばらしいことだし、選択肢もたくさんあるのに、それがあたりまえになってくると、「私は決められないから決めてほしい」というふうになっているのかなと思っています。
油井:
私は団塊の世代なので、何かをこわさないと気が済まないのですが(笑)、今の子どもはおとなしいですよね。
小渕:
私は団塊ジュニアですけど、やってみたいことはいろいろやってきた気がします。
金子:
そういう時期があったから、今があるのだと思います。それを押さえつけてしまうと、どこかで出さなくてはならなくなってしまうかもしれません。
野田:
先生から見て、どういうお子さんが幸せそうだと思いますか? 人間として育っていくのに適切な、子どもへの接し方などありましたら教えてください。
金子:
お子さんの気持ちをわかろうとしていることでしょうか。お母さまの気持ちを押しつけるのではなく、お子さんがどういう気持ちでこうなっているのか、どういうことがしたいのか、どういうことに興味があるのか、全体像を把握するというように。
それから、子育てに手をかけすぎないということも大事です。たとえば、靴下をはきたいといったときに、「じゃあ、自分でやってみようか」とやらせてみたものの、どうしてもかかとがひっかかってうまくいかない。そういうときは「ここをこうしてみたらどう?」と話をしてみる。「こうやったほうがいいのよ」ってお母さんが手を出したくなってしまうのですが、そうではなくヒントを与えてあげる。できたときは、「よくできた〜。自分ではけたね」と声をかければ、お子さんの自信にもなります。もちろん、時間はかかりますが。
小渕:
園と家庭をできるだけ平行にしていくというお話があったんですけど、そうはいっても子どもは外でがんばっていると思うんです。だから私の場合、子どもが家に帰ってきて、甘えたりがんばらなくなったりするのを、つい受け入れてしまいます。
金子:
受け入れは大事ですよ。受け入れたうえで、見極めるというのは難しいところなのですけど。
小渕:
私は子どもが二人いるので、たとえば下の子にやってあげることでも上の子にはやってあげないことがあります。それは上の子にとってはつらいことだと思うんです。自分もやってほしいので。甘えたくてしょうがなくて「食べさせて」とか言うから、なんとなくやってあげたい気もするわけです。でも、保育園では一人で食べているはずだし、できないわけではないので……。
金子:
そういうことは、ご兄弟がいらっしゃるとよくありますね。でも、そこで「お兄さんだから自分でやりなさい」と突っぱねちゃうと、きっとどこかに寂しさが出てしまう。たとえば、幼稚園の集団生活の中でお友だちとうまくいかないなどというように。だから一概に全部否定はせず、「今日はわかった。食べさせてあげるわね」とやってあげることもありつつ、一人で食べることができたときは、「さすが上手に食べられるね」と、ほめてあげる。
小渕:
最近は「お兄ちゃん」という言葉を使わないようにも気をつけています。
金子:
たしかに「お兄ちゃんだから」という比較はしないほうがいいですね。人として「何歳だからもうできるようになったのね」と言うのはいいですが。
小渕:
下の子に上の子を「お兄ちゃん」と呼ばせることもしないという人もいます。名前で呼ぶようにしているそうです。
金子:
それはご家庭のお考えなので、園としてこうしてくださいというのはありませんが、やはり兄弟の中で縦割りの関係はある程度あっていいと思います。強すぎるのはよくありませんが。
野田:
女性で国会議員をしながら、二人の子どもを育てているってものすごく大変だと思います。
小渕:
でも、国会議員もだいぶ変わってきたと思います。昔は独身があたりまえ。結婚か政治家かどっちかしかなく、子どもがいるなんてことはなかったので。
野田:
最初に適齢期で出産した国会議員は橋本聖子さんだったのですが、当時マスコミから「産むなら辞めろ」と言われていました。その時代を思えば、この10年くらいで変わったと思います。
金子:
(国会議員は)お母さんの立場でないとできないこともあると思います。子どもがいるから何かを訴えることができるというふうに。
野田:
私の子は生まれてからずっと入院しているので、病院にお風呂に入れてあげに行ったりしているのですが、本当はずっと一緒にいてあげたいと思います。でも、国会議員だから、「あと5分だけ抱っこ」などといって看護師さんに託す。あのとき、すごくつらいです。でも、「ママは仕事してくるからね。見放すんじゃないからね」と伝えています。
金子:
私も子どもたちが小さいときはそうでした。泣かれて、後ろ髪をひかれるような思いですよね。でも、子どもたちが大人になって、「仕事をしている母親の姿が好きだった」と言ってくれますし、今も「がんばれ」なんて声をかけてくれるので、ありがたいと思います。もちろん、子どもだったそのときには、そういうことは言いませんでしたけど。
小渕:
私の子どもたちも「行かないで、行かないで」って、今は怒っていますもの。
金子:
それは大人になってから理解できることで、今は理解できません。「いてほしい」という感情のほうが出てしまいますので。
油井:
でも、たとえ小さなお子さんでも、お母さんにがんばってほしい気持ちはあると思います。
野田:
まわりのサポートとして、たとえば先生たちが「ママは仕事でがんばって、えらいね」など言ってくだされば、子どももそうなんだと思うのかもしれません。
野田:
少子化対策の難しさ、一人の女性が妊娠し、子どもを産むっていうことの大変さを、あらためて痛感しています。高齢だからというのではなく、女性で仕事をしながら子育てをするという面で。
これまでは自分が産んでなかったということもあり、「子どもを産み育てたほうがいい」とかんたんに言っていましたけど、そんな生易しいことではないと思いました。ですからもう少していねいに、若い人たちに産み育てることの楽しさを伝えていきたい。少子化対策は相対的な数が足りないから大変だといってやるのではなく、子どもと接することがどんなに幸せなことかというのを、教育現場の方と一緒にお伝えしていければと思います。
産まない選択をしている人はもちろんそれでいいのですが、産もうかどうしようか迷っている人が、産んだほうがいいと思えるような社会を作っていきたい。「案ずるより産むが易し」というふうに。
金子:
今、若い女性たちは、大学を出たら職をもつのがあたりまえで、すぐに結婚する人はほとんどいません。そういう社会情勢になってきて、子どもを産みたいと思ったとき、やはり今のままでは産めない。そういう声をよく聞きます。まず、福祉がしっかりしていない。子どもを預けるところもない。だったら、このまま子どもを産まずに仕事を続けるしかない。
仕事を続けるために、保育園にかぎらず預けられるところがあれば、仕事も続けていける。雇用しているほうも、それなりの条件を認めるということをしていただかないとならないと思うんです。子育てが大変な時期はずっと続くわけではなく、一定期間なのですから。
野田:
今すごく残念なのは、産みたいのだけど産める環境がない、という状況だということです。「産め」と言っているわけではないけど、産みたい人が産めなくなってしまっている。これは、危機的な状況です。産みたいと思っている人も、「今は産めないけど、後でなら産める」と言っています。ところが、この「後で」が曲者で、後になったら産めません。
「ゴールデンエイジ」というのは大学を出てから30歳くらいまでのことで、その間、いちばんお母さんの体にとっても赤ちゃんにとってもリスクが少なく産める時期に一子二子産んだほうがいいと思うのですが、そこをどうやってみんなで認めてあげることができるのか。仕事を辞めず、産後はまた仕事に戻れるように、この国はできていないのです。
油井:
私も授業でワークライフバランスの話をしたのですが、日本の男性にも問題があると思うんです。子育てに関していろいろな制度がありますが、そういった制度を男性が利用して育児をサポートするという意識は薄い。たとえあっても、今の働く仕組みが整っていない。そこがいちばんのネックではないかと思います。
保育園を作ることももちろん大事。子ども手当てなど、制度の改革は必要かもしれないけど、男性の意識改革も必要だと思います。ご存知だと思いますが、日本の男性というのは、家庭や育児のために使う時間が世界的に見て、極端に少ないんです。通勤にうんと時間がかかるということもあるかもしれませんが、家事や育児は奥さんの仕事という意識が、若い世代にもまだ残っているのではないかと思います。
野田:
日本の独特の雇用体制の中で、上司に逆らえない、上司がさっさと家に帰ってくれないから、若い人も帰れず残業をさせられているという構造があると思うんです。働き方という面で女性も男性に並ばされている。その働き方をもっと柔軟にしていただきたいというのはありますね。
家族をもつことが、一つの政治意識というイメージがあってもいいのかなと思うんです。家族をもつことって楽しいことばかりではなくて、責任をおうことでもあり、夫婦げんかもするし、親子げんかもする。そこでまた人として大きくなっていくというのがあると思うんです。
油井:
体を鍛えるときに適当な負荷がないと筋肉はつかない、過度な負荷があると体を壊してしまう。あらゆる場面でどの程度の負荷が最適なのかはじめはよくわからないので、人間はその負荷はどの程度がいいのか求めていきます。
ですが子育て、とくにお母さん方は最初のお子さんの場合、試行錯誤でやっていらっしゃるわけですから、そこは負荷の程度を決めないで、幼稚園の先生などと一緒にやっていけばいいと思うのです。負荷をかけすぎた、もっと負荷をかけていい、と考え相談しながら。
野田:
国家は人で成り立っています。今、新エネルギーだといっているけど、そもそも天然資源がなく、それを買わなければいけない国で、買うためのお金を稼ぐのは日本人の知恵。その知恵者が減ってくるのは寂しい話で、ましてや個性尊重といわれていますし、学校から出てくる逸材を増やしていくことが急がば回れじゃないでしょうか。そういう意味で教育は、将来の決め手だと思います。
こういう学校があれば、子どもが、親がなき後もがんばって生きていけるようになれるだろうな、そう思える教育が望まれると思います。
油井:
そうですね。子どもたちが自立して独力で生きていける力を作ってあげること、それが私たちの責務だと思います。
小渕:
成城学園の子は「成城っ子」って言われていますけど、自分の子どもも成城学園に入れて、すごいつながりができていって……みんなが「成城学園のことが好き」ってその魅力はなんだろうと思います。100周年を迎えることはすごく大きな節目だと思うんですけど、その成城学園のすばらしいつながりをまた次の世紀にぜひつなげていただきたいです。
油井:
成熟化から混沌という時代の中で、成城学園はどうやって生きていくのか、もう一度100年前に戻って組み立てようとしています。
野田:
それでは最後に先生から、お腹に赤ちゃんがいる方にメッセージをお願いします。
金子:
赤ちゃんが生まれたら育てるのは大変だと思うんですけど、やはりその一瞬はそのときしかないので、その一瞬を大切にしていただきたい。子どもを愛おしいと思うその気持ちを忘れないで、一生懸命育てていただければと思います。かならずまわりはサポートしてくれる人がいるはずですから、一人じゃありません。
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